中二病だから夏の魔物に会いたい。

古いアパートのベランダに立ち

僕を見おろして少し笑った

なまぬるい風にたなびく白いシーツ

魚もいないドブ川越えて

幾つも越えてい行く二人乗りで

折れそうな手でヨロヨロしてた 追われるように

~『夏の魔物』スピッツ~

中学一年の僕はこの歌で何回だって泣けた。胸にこみ上げるどうしようもない衝動や憧憬を抱えて、自転車で駆けた。

どこかにいるはずの運命のあの子を探しながら毎日下校した。

 

こんばんは、酔って帰ると電柱を爆破したり斬り倒したりする赤髪です。

幽遊白書で一番好きなキャラは刃霧要です。死紋十字斑。

みなさん中二病してますか? 恥ずかしい? Why?

現役中二病の僕ですが、ふと思います。

中二病、何で恥ずかしいんですか?

 

私の中学生時代たるやいわゆる筋金入りで、夜な夜な竹刀で雪山と格闘しましたし、アニメマンガゲームの手から出る系の飛び道具は一通り試しました。

一番練習したのはやっぱりMADARAの掌妙勁でしょうか。うん、あれはもうちょっと頑張れば出たと思うなー!

スプレーとペンキで、服に自分でデザインしたドクロマークを描いてブランドだとか言ってました。ブランド名は今でも覚えています。

「I’m hungry」

ご飯は毎日三倍は食べてました。おかわり。

あと、妄想癖だったのですが、あの頃、毎日考えていた物語をすべてプロット化したら一生食うに困らなかった気がします。

 

さてさて、こういうのを世間的には黒歴史というのでしょうが、僕はわりとそうは思っていません。

恥ずかしいかどうかで言ったらこれ以上のコメントは差し控えさせていただきますが、今ここでこうしてさらしている程度にはよい思い出だったなと思っています。

あ、今シラフなので明日の朝、これ見て死にたくなったりしないので安心してください。

 

中二病の定義とは。

曰く、伊集院光さんが生みの親であるとか、その頃の定義からは大きく変わってしまっただとか。

邪気眼だとかなんだとか。それでも恋をしたいだとか。いわばエゴとエゴのシーソーゲームだとか。

まあなんだっていいんだけど、とにかく「痛い」と言われていることに僕はなんだか寂しさを覚える。

もう一度聞きますが、中二病、なんで恥ずかしいんですか?

 

中二病を飯の種にさせていただいております僕が思いますに、中二病とは、「むき出しの感性」であるように思います。

でも、人がむき出しでいられる期間は限られていると思います。

人間的に成熟していない、未熟であればあるほどむき出しに近い。

それはつまり、成長すればするほど、皮を被っていくということになるからです。

むき出しの感性を思うたび、未熟だった自分が並んで想起されるからこそ、それらを恥ずかしいと封印してしまうのではないでしょうか。

 

大人になって恥を学んだはいいけれど、恥ずかしい恥ずかしいと目で手を覆っていては見えるもんも見えないなって思うのでした。

見えないものが見えないのは当然であっても、見ようとしなければ一生見えない。

あるかないかはわからないけれど、あると信じて見なければ一生見つからない。

その道筋がたとえ無駄であっても、恥ずかしいと目をそらさないで覚えていれば、何か起こるかもしれないよ。

 

そんなことは戯言さ。

ああなんとでもいうがいいさ。でもここまで読んだが最後なのである。

なぜなら君にある呪をかけたからだ。

 

言葉とは呪である。

この文章に、行間に込められた何かは自ずと君のどこかに働きかけ、呼びかけ、何かを刺激するのである。

その結果、何が起こるのか。

……何、恐れることはない。これは始まりであって終わりではない。

世の中そのようにできているのである。気軽にさあ、明日への扉を開くがいい。

イフタフ、ヤー・シムシム。

開くはアガルタの扉か、地獄の蓋か。

飛んで火にいる夏の夢。まどろむちょうちょと三千世界。

鳴かぬなら、泣くまで纏う夜の闇。

ここで会ったが百年目。鶴は千年、亀は万年。まんじゅう十萬千客万来。

寄ってらっしゃい見てらっしゃい。

まだまだ続くよ常世の舞台。

祇園精舎の鐘鳴らし、諸行無常と腹踊り。

 

ご清聴、ありがとうございました。

少年よ、人生は自己責任である。

母校の中学生に向けて、東京で活躍する先輩として喋る、というイベントがあった。
先月の話だ。修学旅行の一日目のプログラムとして組み込まれていたそれに、ご招待いただいた。
誘ってくれたのは、僕が学生の頃、英語担当だった先生で、今は校長になっている。
ギター片手に英語の歌を歌う愉快な方だった。
髪が真っ赤な僕を指名するくらいなので、どういう方かは察してほしい。とても理解のある教師でした。

その礼状が届いていて、今日やっと開封した。
むっちゃ達筆な校長先生のご挨拶のペライチの後ろから、カラーの画用紙に直筆・鉛筆で書かれたお礼のお手紙。
僕の話を聞いてくれたのは9割メンズだったのだが、うん、字が中学生らしくてじんとした。
自分の日記を読んでみても思うのだが、子供の頃ってなんで字が成熟してないんだろう。
知らぬ間にそこそこ字が大人っぽくなってくるよね。なんでだろう。

なんて考えながら、文章もまた年相応な感じで。かわいらしかった。
そこに書かれた感想を読みながら、僕の話はどの程度伝わったんだろうな、と考えた。

2グループ、合計14,5人? 相手に、時間いっぱいしゃべくり倒した。
個人的にはぜんっぜん時間が足りなかったのだが、あまりにしゃべくり倒したので、正直きょとーーんだったと思う。
「この赤髪まじでしゃべるな。何言ってるか全然わからん」って思いながら聞いてくれていたと思う。
とはいえ、「ためになった、楽しかった」と書いてくれていて、社交辞令かも知れないが結構笑かしたとは思ってるので、なんか楽しかったと思ってくれたらそれでいいかな。

「あ、こんなやつでも会社の社長とかやれるんだ」「大学もいかないで26までフラフラしてた人でもなんか立派っぽくなれるんだ」
それだけ伝われば十分っす。

最後に、一人ひとり全員に向けてご挨拶させていただいたのだが、そのとき僕は随分適当な話をした。
まあ、言いたかったのは上のことで。
だから、生徒会役員なのに家出して生徒会長になれなかったし、つい最近までフリーターだったぜーなんて。
でも今社長っす、みたいな。

「親は最後は責任取ってくれいないんだから、好きなことしてください」という言葉が印象的でした、と、しっかり礼状に書かれていて。あーーって。
先生たちは苦い顔して聞いてたんだろうなー、と今になってみれば思うのだが。
これって、自分の責任は自分で取れよって話なので。何も間違えたこと言ったと思ってないです。

彼らが大人になること、僕はもうゲーム作ってない可能性も十分ありうるのですが。
もしもこの世界に来たのならば、一緒に楽しいことができたら素敵だなと思います。

好きなことしましょう。

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自分を仕様変更したい。

人間がどうして病気になるか、不調になったときに体がどうなっているかについて知れば知るほど、最終的にコンピューターとさして変わらんのだなって思う。
肉という有機的な物質で構成されているから、精神というものが存在するからどうしても信じがたい話なのだが。
結局、バグとか不具合の話と一緒なんだよなって思う。
癌とか特にそう思う。

体のほとんどすべての部位に発生する可能性があるもので、体の正常な細胞がなんらかの原因で突然変異を起こし、元の細胞とは異なる細胞になってしまう。
そして、再生不全を起こしたその細胞は高速度で無限に増殖する。
癌細胞になると、正常な細胞が持っていた役割、機能を失っているから不能になってしまう。
そのうえ、腫瘍部から遊離して血液、体液にのり別の臓器や組織に侵入したりする。

完全にウイルスに感染したPCみたいじゃない。
NieR:Automataの2Bちゃんの思考や行動は人間と変わらないように見える。でも体重が148.8kgのアンドロイドであり機械だ。

Fate/EXTRA CCCのBBちゃんは電脳世界に存在しているので体重って概念はないのかもしれないけれど、もはや人間と変わらないように見える。でもAIだ。

機械だったりAIだったりするから論理ウイスルにやられたり、リソースがどうのこうのって話になるけれど、人間だってさして変わらないじゃないのって思うのです。

 

ただ、人間って肉を持って生きていく生体ユニットとしては非常によくできているらしいです。
コンピューターでは再現が難しい「曖昧さ」を持っているから成立しているような部分があるんだと。
例えば、視界に入ったものすべてを認識はしているけれど記憶していない、みたいな。全部記録したら記憶領域がすぐにパンクしてしまう。

 

だけど、やっぱり人間やってると思うわけよね。あまりにもままならないと。
コンピューターのように命令を出したら即実行してくれるわけでもなく。パフォーマンスには非常にムラがある。
そもそも、命令の実行に時間がかかるどころか拒否したりするわけよね。やりたくないと。
それが別のユニットならまだしも、メインプログラムの脳が命令しても動作しないとかもはや不良品だよね。

でもまあ、それってバグってるのかもね?
実際に精神医学を知っていくと、これまた人間ってコンピューターみたいって思うのです。

ありとあらゆることには原因があるわけなんだけれど、人間という存在をベースにして感情のフィルターを通して考えるとうまくいかないことが、コンピューターに例えると不思議と納得いったりする。

 

と、考えるとAIもアンドロイドも絶対に完成するな! って思うのでした。
同時に、まじで人間の仕様変更してほしい。

設計者さん、地球のサービス運用サボりすぎじゃありませんか? アップデートしなさすぎでしょ。
とは言え、2年超えたらよくやったと言われるソーシャルゲーム業界に置きましては、見習うべき優良運営なのかもしれない。

 

……とか思ったけど俺は騙されんぞ!

ま、設計者さんが本当に望んだのは、人類の自己アップデートなんでしょうけどね。
進化しねーな人類。

スイッチ一発で発動するスーパーストイックモードを搭載したい赤髪でした。

母の日。

母の日には、近所のお花屋さんでカーネーションを買ってプレゼントしていた。母は花が好きだった。
本籍地である実家はとても手狭な家だったが、母方の実家は部屋数が多く立派な2階建てで広い庭があった。
母はよくそこで、ガーデニングといえるようなオシャレさはないものの、いろんな花を育てていた。
草むしりを手伝ったこともあった。間違えて芽を摘んで泣いて怒られたこともあった。少々感情の起伏が激しい母であった。

母にカーネーションをプレゼントする習慣はいつまで続いたんだったろうか。
中学校二年で俺が新聞配達を始めた頃から、母方の家にはあまり帰れなくなり、母の花の趣味はほぼそこで潰えた。
そもそもその頃には生活に余裕なんてなかった気もする。花を育てる母の姿こそが、まだ少し余裕があった頃の象徴だったのかもしれない。

カーネーションを買っていたお花屋さんはとっくになくなった。
母方の実家は隣の火事をもらって永遠になくなった。
母は元気だが痴呆症だ。何もしないで家にいる。
趣味だった本も、もう読まない。整理して処分してしまったし、もう今後、本を読むことはないのかもしれない。
読んでもその日のうちに忘れてしまうんだから、読ませたいとも思わない。それは、なんだかつらいという俺のくだらない感傷なんだけれど。
本籍地の実家はこのたび、兄夫婦のお陰で新築したが、その小さな庭で花を育てるような気力はもう無いだろう。
そもそも、そんな趣味があったことを本人が覚えているのか、俺には確かめようがない。
母が何を覚えていて、何を覚えていないのか、もうわからないのだ。
聞けばいいだろうと思うかもしれないが、それもしたくないのだ。
母は「私はアルツハイマーだから」という。
何か大事だったことを忘れていてもう思い出さないかもしれないと自覚する気分はどんなものだろうか。
それを思うと聞く気になれない。
聞かれたことすら、5分もすれば忘れてしまうんだけれど。

人は生きているだけで失っていく。
苦労して俺たちを育ててくれて、余裕が無いなりにその後は何かを楽しんでほしかったが、人生とはあまりに酷なもので正直閉口する。
そういう俺は、母の日に贈り物もせず、電話の一本もかけなかった。
母は好きだが、自分と母の人生はもはや別である。親と子は別の生き物だというのが持論だ。
これでは親不孝を肯定するようだが、何もしなかったことを少し後悔する気持ちがないわけではない。ただ、それだけである。
冷たいなと思いつつ、これを書いている。

人は生きているだけで失っていく。
母は今どんなふうに世界を見て、感じているのだろうか。
自分の母は美しかった、とは思わないが、愛嬌のある可愛らしい人だったと思う。
俺とおんなじで、とにかく明るくて声が通る人だった。
感受性が強くて、よく笑ったし、すぐに怒った。
どこかズレていて、それをよく笑いのネタにしていたが、俺のやりたいと言ったことは何でもやらせてくれた。
やれる範囲で支援もしてくれた。カネがないのはわかっていたので大学は行かなかったが、まったく後悔していないし、母のせいだとも思っていない。
生きているうちに親孝行をしろというが、そのとおりだと思う。
俺はまだ間に合うが、半分はもう間に合わない。

人は生きているだけで失っていく。
母が自分の人生をどう感じているのかは俺にはわからない。
ただ、母が失ったと俺が思っている事柄たちをときどき思うたびに、やるせなくなる。

 

長生きしてほしい、とも素直には言えない。このまま、自分がなくなるほどに失い続けていく可能性があるのならば。
ただ、家も新しくなったし、日々が楽しいと感じられる何かをプレゼントしたいと、思ったりはする。
ひとまず6月にリリース予定の甥っ子が何か鍵になればよい。兄貴、義姉さんありがとう。

 

せめて明日電話をしよう。

なんてこれっぽっちも思わないし絶対にかけないが、和賀キヨ子に感謝と尊敬を。

突然赤髪で帰ってもまったく驚かない我が母に幸あれ。

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つれづれぽんぽんのやっほー(限りなくシラフです。)

なんとなく筆を執ったけれど、明確に書きたいことがあるわけではなく。

言葉の断片だけがあるような状態なんだが、書いておく。

 

時間が流れて、あったものがなくなったりした。
それは燃え上がるような情熱であったり、当たり前であったものだったり、わかりやすく夢と呼ばれるものであったり、目的意識であったり、体力であったり、人の命であったりした。

今、自分に何ができるのか、何がしたいのか、何が学びたいのか、何を取り戻したいのか、何を手に入れたいのか、一番何がほしいのか考えたりする。

順調かどうかはわからない。
元気だが人生は常にギャンブルで火の車である。

自分に失望もしたし、希望も持ったし、新しい気分にもなったし、なんだかすべて終わったような気にもなったし、わくわくするような日もあるし、無力感に絶望したりもするし、とにかくなんでもいいから人の喜ぶ顔が見たいと無性に思ってみたりするし、何もしたくなくてどうしようもなくなったりするし、結局のところ上がっているのか下がっているのかわからないものである。

総じて曲がり角であることだけは自覚があり、転換期でありこれまで通りではおそらく消えるだろうと思っている。
そのためのやる気はあるような気もしているし、チャンスもいただいていると思う。
どうなるかでいうと、おそらく大丈夫だと思っている。ここに感謝を。

自分個人の幸いに関しては、結局一番欲しいものがなんであるかを自問自答している最中である。
ただ、ただ一度の挑戦くらいは許されるだろうし、しなければ後悔するだろうとは思っている。
どうせ器用でないのであれば、やれることなどたかが知れているのだから。

個人の力の限界を感じて萎えているような気もしているが、ただの一度も本当に死ぬ気で事を成していないのだからまだ跳ねられる気もするが、そう言っている時点であらぬ可能性にすがっているようでもあるし、おとなしく人の力を借りねばこれ以上の跳躍はないと認めたほうがよいのかもしれないとも思う。

往々にしてそのようなサイクルをかたちを変えながら何年も繰り返し今に至るのであろう。
ただ、ここに残したことは、紛れもなく最新の右往左往である。

ふと胸に湧き上がる言葉がある。

何かになりたかった。

諦観の言葉なのか、二度死んだ過去からの恨み節なのか、この言葉のあとに何か続く予定があるのか。

とんとわからないのだが、人間というものの仕様については本当に物申したいことだらけだ。

かといって仕様変更は叶わないので、自分というプロジェクトの運用ルールくらいはもう少しまともに管理したいものである。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

でも春はもう終わったのだよ。

もうここからは夏の夜の夢。

どうぶつさんたちだいしゅうごうだわいわい。

みんなでたのしくうんぱっぱのぶんぶん。

おなかぽんぽんぽんのやっほー。

岡崎体育さんが好きになりました。応援しております。

 

赤髪からは以上です。

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