近況報告。

最近Twitterの浮上率が落ちている和賀です。生きてます。

 

SNSが普及して、以前とはだいぶ生活が変わりました。

離れたところに住んでいる人の近況を直接話を聞いたかのように知ることができ、身近に感じられたりしてFacebookっていいなーって思っていた時期が僕にもありました。
まるでひとりごとでも、どこかで誰かが見ていると思うと、なんだか気が楽になるような気がしてTwitterに書き込んだり。
王様の耳はロバの耳、的な使い方をしたり。

日々だれかにふわっとメッセージなのか承認欲求なのかを投げつけつつ、反面誰かのそれを受け止めたりしているわけですが、なんとなく画面の向こうに人が存在していることは認識できる。
できてない人がよく相手を人間扱いしてない光景を見かけたりもしますが。

まあ、そんなこんなで友人や気にかけている人に関しては元気かそうじゃないか、起きたか寝たのか、そんな日々の表情がわかったりして自分の一日に溶け込んでいたりするものです。

だから、僕なんかでも浮上しなくなると「アイツ何やってんだろ」的なことを思ってくれる人はいくらかいるのだろうなと思うわけです。

 

SNS自殺というものを考えたことがあります。

ネット上に何かしらがアップロードされるようになった瞬間から、その持ち主が現実世界で消滅した際にそれらが放置されるという現象は今に至るまであるわけです。
僕が書き飛ばして筆を置いたブログだって、サービスを運営している会社のサーバーが消滅しない限りは存在するのでいまだにネットの海を探せば出てきます。

そういう現象は往々にしてあるわけですが、ここまでSNSが浸透した世界においてはネット上のみのコミュニケーションや存在がこれまで以上に大きくなっていたりします。
リアルとオンラインがかなり乖離しているという現象が言うまでもなくある。

そんな中、ネット上に形成されたアカウント=個を意図的に捨てて、すべてのコミュニケーションを断つことはある意味では自殺に近いのではないかと思ったのでした。

まぁなんつーか、寝ても覚めても携帯が片手にあれば世界と繋がれるし、飯食ってるときもすぐに発信できる今の世界において、ネットの輪から逸脱したらもう魂半分くらい消滅する勢いで色んな人が自分にアクセスできなくなるんだろうなって。

 

インターネットと呼ばれるもの、それをそれたらしめている機能がすべて機能不全に陥ったら、その瞬間から生活はどんなふうに変わるだろうと夢想するくらいは、物書きだから許されるよね。

 

『NieR:Automata』をクリアして『夏目友人帳』を延々と見てたらそんな気分になった赤髪でした。

NieR:Automataは本当に素晴らしかった。こういうの作りたいと久々に思わされた作品でした。

夏目友人帳は、もう日々花でも愛でながら酒のんでゆっくり暮らしたいと思いました。大切な人がそばにいてくれたらばなおよし。

詳しくは綾瀬にでも譲ります。そういえばアイツも生きてんのかな。

 

疲れてませんよ別に。

 

最近、メジャーに行った友人がライブに誘ってくれました。

バンドマンとしての俺は多分終わったなって思ったりもした今日このごろですが(その話はまた別の機会に)彼が言っていた言葉がとても胸に残りました。

 

色々と忘れてしまったものばかりで少々辛くなります。近頃。

 

桜が咲いたら、のんびり花見にでもいこう。

 

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