夜の街が好きだ。
理由は前に話したこともあるような気がするし、センチメンタルな内容なので別の機会に譲ろう。
渋谷から自宅まで歩いた。
宮益坂を登りながら、ライブハウスへ向かっていた時のあれこれを思い出し。
青山の方に抜けながら、バイト時代のどうしようもない自分を思い出し。
道を歩けば過去に当たる。
板橋、武蔵関、武蔵小杉、稲城、幡ヶ谷、登戸、横浜、溝の口、読売ランド前、森下。
色んな所に住んだ。人よりちょっと多いバイト経験の中で沢山の街に行った。
秋田から上京してきた僕にとって、関東は土地勘もゆかりもない場所である。
降り立った地点から、道を歩きながら街を知っていくという行為は、白紙の地図を埋めていくような感覚でもある。
通過し、滞在し、住み着くという日々の中で、ゴミを散らかすように種をまくように自分の痕跡を残したり、あるいは記憶のカケラをこぼしていく。
地図はまだ埋まりきってはいない。それでもだいぶ埋まったよ。
だからこうして歩いていると、突然降ってきたり足元に転がっている自分の残骸に驚き、躓き、凹んだりする。
でも怖がることはない。歩みを止めてはならない。
むしろもっと歩かなければ。生きているのだから。
歩いて歩いて、地図を埋めよう。この街を歩ききって埋め尽くそう。
網の目のように張り巡らされた道に血を通わせろ。
道はどこかで交差する。道はどこかに続いている。
だから出会う。再会する。人生は、運命は、交錯していく。
まだ見ぬ道を行こう。一度来た道をまた歩いてみよう。
そして会いに行こう。
あいつに、あの人に、彼に、彼女に、あなたに、君に。
さあ、歩け。生きているのだから。
さあ、行こう。地図を埋めるのだ。