今日、この日付を呟くということは、忘れもしない三年前のあの震災を指すことになるんでしょう。
あの日僕は、築地のオフィスにいて、休憩で昼寝をしてました。
その隣でプログラミングをしていた鈴木くんが。「なんか長くないですか?」と呟く声で目を開けて、次の瞬間、大きな揺れ。
社長のマリさんが、皆に机の下に隠れるように叫んだのを覚えています。
ただ、僕にとって3.11というのは、別の意味を持った日でもあります。
上京記念日。
記念なのかどうかは置いておいて、僕は11年前のこの日、秋田から上京しました。
バンドで飯を食うために。
僕は進学校にいたので、友達は皆、卒業後、大学入学までの短い時間を地元で謳歌していました。
しかし、そんな大学進学というスタンダードコースから、高1の初めての進路相談の瞬間にドロップアウトしていた僕は、新聞奨学生という道で上京を決めていました。
お陰様で、卒業してすぐに「早く来て働いてください」というルールのもと、周りの誰よりも早く地元を離れたのでした。
そんな日に、僕は今、秋田行きの深夜バスに乗っています。
すでに実家暮らしをスタートしている僕ですが、仕事があったんで、ここ数日上京しておりました。
本当は昨日帰る予定だったのですが、わけあって、今日帰郷中。
何の因果だろうな、なんて思いながら。
三年前の震災後、東京はなんか本当に暗くて。
気持ちも暗くて。ほんとこれからどうなるんだろうな、とマジで考えたものです。
バンドやら音楽というものが、今後どうなっていくんだろうとも思ったし。
Twitterはこの世の終わりみたいだったし。
東北の友人たちは苦しんでいるし。
そんなことを毎日考えながら、自宅で仕事をしていました。
一ヶ月ほど、自宅勤務だったんです、当時。
そして今、当たり前のように、自宅で働いています。
今度は、自分でその道を選んで。
震災のことや原発のことはあえて書きませんが。
本当に先のことなんかわかんないなと、思います。
一年後どころか、半年後の世界ですらも、分からない気がしています。
この先どうやって生きていくんだろうか。
どこで生きていくんだろうか。
正直毎日考えています。
調子はすこぶるいいし、今なら何でもできそうな気がしている反面、自分の人生の終着点のようなものに思いをはせます。
まぁ月並みに、やりたいことは全部やって、悔いのないように死にたいと思いますが、じゃあ最終的に何がどうなれば満足なんだろうかと。
そもそも満足なんてするんだろうかと。
いつか死ぬし、という結末が描かれているこの人生の物語。
そこに至る前のストーリーラインと、クライマックスはどんなだろうなと。
最近、毎日考えます。
多分、やりたいと思っていることは全部できる気がしているのですが、全部やったら、どうなるんだろうなと。
次が見えたり、その先の何かがあればいいのですが、今のところ見えません。
見えないので、見えるかもしれないところまでとりあえず行こうかと思っています。
震災後。
何が出来るかということを、少なからず皆考えていると思いますが。
なんにせよ、自分は自分で大事にしてほしいと思います。
聖人じゃないんですから。人のためだけには生きられないでしょう、と僕は思う。
人のためにもそりゃなりたいですが、僕は僕のためにも生きます。
だってそれ当たり前じゃんかね。
来年の3.11は。どこにいるんだろうな。
とりあえず、死にません。
以上。